「日本三大阿波おどり」の「三大」ってどこ?
2018/11/07 コラム
阿波おどりは約400年間続いている日本の伝統芸能のひとつ。 チャットモンチーが自主イベントのフィナーレで披露したり、米津玄師が歌詞に「踊る阿呆に見る阿呆」という阿波おどりの歌詞を引用したりと、徳島県出身のアーティストたちに親しまれています。
有名な開催地が3つあり、総称して「日本三大阿波おどり」と呼ばれていますが、具体的にはどの場所のことなのか、それぞれの特徴はどのようなものなのか、紹介します。
1番大きいのが「徳島市阿波おどり」
阿波おどりの本場といえば徳島県。毎年、8月のお盆に当たる時期に開かれる「徳島市阿波おどり」が日本最大の阿波おどりイベントです。
その特徴はなんといっても規模。夜になると、徳島駅近くの繁華街周辺が演舞場に様変わりし、広場や道路などいたるところでパフォーマンスを見物できます。
踊り手の数はなんと約10万人! 企業や学生、飛び入り参加の素人など、さまざまな人たちが行列に参加しています。その盛り上がりを見物しようと、毎年全国から130万人以上の観光客が訪れます。
また日中に行われる「徳島市選抜阿波おどり大会」も見どころのひとつ。有名な連(チーム)が3組ずつ登場して、洗練された踊りを披露してくれるので、徳島市一帯が連日連夜お祭り騒ぎです。
徳島の阿波おどりの起源は諸説ありますが、1580年代に徳島藩の大名である蜂須賀家政が藍染めをした布などを備蓄し始めたのをきっかけに、全国から裕福な商人たちが集まり、文化交流が発展して踊りが生まれたといわれています。戦後は、市民が参加して楽しめる娯楽として発展していき、現在のようなかたちとなりました。
商店街が見よう見まねで始めた「東京高円寺阿波おどり」
徳島市の次に規模の大きい開催地は、東京の高円寺です。毎年8月下旬ごろに開かれる「東京高円寺阿波おどり」には、約1万人の踊り手たちが集合。JR中央線「高円寺駅」を中心に8つの演舞場で披露され、約100万人の観客が訪れるイベントとなっています。
1957(昭和32)年に地元商店街の青年部が、町を盛り上げるために始めたことがきっかけとされていますが、当時は周囲に「阿波おどり」がどんなものなのかを知る人がいませんでした。
当初は「高円寺ばか踊り」という名前で呼ばれており、見よう見まねで踊っていたため粗削りで、存続が危ぶまれた時期も。
しかし、徳島県出身の踊り手たちが直接指導に入るようになり、技術が向上。1963(昭和38)年に「高円寺阿波おどり」に改称して以降は、本場徳島市を含め、数多くの連が高円寺に集まる一大イベントに成長しました。
一人の実業家の思いが込められた「南越谷阿波踊り」
最後に紹介するのが、埼玉県越谷市の「南越谷阿波踊り」です。毎年、約6000人ほどの踊り手たちと約70万人以上の見物客が集まっており、夏の風物詩として親しまれています。
期間中は、東武スカイツリーライン「新越谷駅」の周囲に広がる4本の大通りを大行列が練り歩きます。また、ショッピング広場や駅前など10ヵ所の会場でも、間近で演舞を見物することができます。
このイベントが始まったのは、1983(昭和58)年から。徳島県出身の実業家・中内俊三氏が、地域の人々にふるさと意識を持ってほしいという思いから始まったのだそうです。中内氏の呼びかけに、地元の商店街や地域の人々たちが協力して、1985(昭和60)年に第1回が実施されました、現在では、徳島市や高円寺の踊り手たちも参加して、大きな賑わいを見せています。
他にもこんなところで阿波おどりは見られる
以上の3会場が、「日本三大阿波おどり」ですが、高円寺と南越谷を、神奈川県で行わている「神奈川大和阿波踊り」と合わせて、「関東3大阿波おどり」と総称することもあります。
関東では他にも「下北沢一番街阿波おどり」や「三鷹阿波おどり」など、さまざまな場所で開催されています。もちろん、近畿や九州、北海道などでも阿波おどりは行われているので、最寄りの会場を調べて、参加してみてはいかがでしょうか。
(堀田隆大)
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