ブルーノ・マーズを知らない人のための3分解説
2018/10/25 コラム
「ブルーノ・マーズっていう名前くらいしか知らない」
「なんかイケイケな外国の人?」
「曲は聴いたことあるかもしれないけどよくわからない」
そんなあなたのために、最短でブルーノ・マーズの魅力がわかるポイントを厳選してまとめたのがこちらの記事です。
ご紹介するのは以下のたった4つのポイント。
・ビヨンセとバトルした伝説の「ハーフタイムショー」
・子供の頃からグレイテスト・ショーマン
・ラテン?ハワイ?複雑なルーツ
・1つのジャンルを再注目させた
どれも彼を知る上で欠かせない入門編トピックです。 順にチェックしていきましょう!
ビヨンセとバトルした伝説の「ハーフタイムショー」
とにもかくにもまずはこちらの映像を観てみてください。
英語がわからないとか趣味じゃないとか、そういういろいろをまとめて吹っ飛ばす圧倒的なエンターテイナーとしての実力!
このステージは、年1回のアメフトのプロリーグの優勝決定戦・スーパーボウルの前半戦と後半戦の間に行われる「ハーフタイムショー」というアメリカの伝統的イベントです。
歌とダンスの腕前はもちろん、これだけの聴衆を熱狂させる堂々たるカリスマ性、溢れ出る色気、どれをとっても超一流。それがブルーノ・マーズなのです。そんな彼がどのようにして腕を磨いたのかというのが次のポイント!
子供の頃からグレイテスト・ショーマン
ブルーノはドラマーの父、フラダンサーの母の間に生まれ、子供の頃から両親や兄・姉・妹とともにナイトクラブのステージでパフォーマンスをするようなショーマン家庭に育ちました。
その頃メインで披露していたのはなんとものまね。ロックの神様、エルヴィス・プレスリーが持ちネタだったとか。その芸が買われ、7歳になる年にハリウッド映画『ハネムーン・イン・ベガス』に「エルヴィスのものまねをする子供」として出演しています。
彼のエンターテイナーとしての実力は、こうした幼い頃から始まった芸歴の長さから来ている部分が大きいといえます。
ラテン?ハワイ?複雑なルーツ
ブルーノはいわゆる“ラテン系”として語られることが多いのですが、そう一言で説明できるものではないのが実際のところです。
というのも、ブルーノのお母さんはフィリピン人、お父さんはプエルトリコ人と東欧系ユダヤ人のハーフ。プエルトリコは国民の多くが白人・黒人・ネイティブ・アメリカンの血を引いていると言われており、その時点で彼をどの人種だと明言するのは非常に困難なのです。
さらに出身地について言えば、彼はハワイで生まれ育っているので、文化的な背景として一番強いのはハワイ州民、及びアメリカ人としてのアイデンティティといえます。
さまざまな人種的・文化的がバックグラウンドを持つことは、彼の音楽活動にも影響を及ぼします。それが次のポイント!
1つのジャンルを再注目させた
彼の音楽性は、お父さんのルーツであるプエルトリコ発祥のサルサやレゲトンでも、はたまたフィリピンの民族音楽を参照したものでもなく、ファンク・R&B・レゲエといった黒人たちが発展させてきた音楽をベースにしたものです。
特に彼のファンク愛がよくわかるのが代表曲である “UpTown Funk!” 。
ファンクは60年代にPファンクという音楽集団の牽引によって隆盛を極めたジャンルで、それから年代を経るごとにロックやジャズなどの他ジャンルへ影響を及ぼしていきますが、ファンクというジャンル自体は長らくスター不在と言わざるをえない状況でした。
そこに現れたブルーノによってファンクは最注目されるのですが、それをよく思わなかったのが、黒人文化を非黒人が担うことに反発を覚える一部の層。ブルーノがファンク色の強い作品を立て続けにリリースするようになると、「黒人文化の盗用だ」と激しく非難しました。
しかし、その事態にNOを突きつけたのが他でもない黒人の大物ミュージシャン、スティーヴィー・ワンダー。「神は音楽を私たち皆が楽しめるものとして創造した」「人々は恐怖心や不安感から自分たちに制限をかけてはならない」と擁護し、さらに「彼への批判はくだらない戯言だ」と一蹴したことによって、事態は一旦沈静化しました。
こうして影響力のある大物にも認められ、彼はエンターテイナーとして評価を不動のものとしたのです。
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